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milestone ブログ

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トリップ -6

~現実 うたかた~

「0.01mg」

 私にとって、いや私たちにとって、特別な数字だ。だからこそ、こんなにも昔の事を思い出すのだろうか。私は目の前の「宙からあなたへ」のメールの画面を見ながらそう思う事にした。そして、株式会社エンジェルミスト研究所をgoogleで検索してみた。だが、そんなサイトは見つからなかった。唯一繋がるサイトは私が書いているブログだ。これだとまるで私がサイトを運営しているみたいだ。それとも、私は自分の知らないところで何かをしているのだろうか?念のためブログを見てみる。私が管理しているサイトからはこの得体の知れないエンジェルミスト研究所へのサイトのリンクはない。当たり前だ。用意されたサイトでハッキングなんてありえない。私は笑ってみた。いや、本当は恐れていた。私は私の知らないところで、「エンジェルミスト」をつくっているのではないか。ひょっとしたらこの手には無数の注射針の後があってそれを見ないようにしているだけなのではないのか。バカな事だ。自分の記憶はトリップなんかしていない。
 そう、記憶が飛ぶなんて事はお酒を飲んでも、疲れていてもありえない。
 唯一あったのは、唯一記憶がないのはそう、エンジェルミストを使った「あの」時くらいだ。そう、それがあんな結末になるなんて思ってもいなかったが。
 世界がまたぐにゃりと曲がっていく。ああ、私はまだあの世界を、エンジェルミストの世界を求めているのかも知れない。私は深く、深く光を求めて落ちていった。



~回想 0.01mg~

 あたるは体調が悪い時に無酸素状態が続いてしまったため、体に負荷がかかっていた。だから、覚醒時に上手く呼吸が出来なかった。そう、それだけだと、特に問題はなかった。だが、念のためとしての、血液検査をした際に検出された薬品と、手にある注射針の後から私たちは事情徴収を受けた。学校からだ。
不祥事。そして、隠蔽。
 そのため、警察に通報されることはなかった。それが唯一の救いだったのかも知れない。ただ、学校の実験室の使用は止められた。そう、再発の防止を考えたためだ。
 材料は違うところから調達できるとしても、機材の使用は難しい。自分がいる大学ですらなかなか使用できないのだ。これが他校にいっての機材の使用になれば、更にハードルがあがるだろう。
 しかも、一人だけでの機材の使用など許可が降りるはずがない。私はヒステリーに騒ぎ立てる教授や職員を見ながら、反省よりもこれからどうしようかだけを考えていた。そう、私たちはすでにこの「エンジェルミスト」の中毒者だからだ。心現の中、私は今後の実験室の使用停止と、謹慎処分を聞き流しながら、あたるのもとへ向かった。
大学に併設されている病院。そこにあたるは入院することになった。教授や見たことない職員がなんだか良くわからないことを言いながら一緒についてきた。あたるが入院しているのは大部屋ではなく研究施設に近い個室が並んでいるところだった。そう、「隔離病棟」だ。私はここに来るとどうしてか頭が痛い。まるでここは病院じゃなくまるで収容所のように感じてしまう。白い壁。小さく子供が通れるかどうかした開かない窓。閉塞感だけがあるこの病棟にあたるは連れ去られていた。重い扉をあけて白いカーテンの奥にあたるはいた。
 あたるは少し呆けていた。そして、いつもおりおどおどした状態で私をみて話し出した。

「陸、どうしたの?俺、どうしたの?どうしてここにいるの?」

 どうやら、記憶が混濁している。いや、違う。あたるは周りを見ている。演技をしているんだ。あたるは言いたいことはあるみたいだ。私はあたるに
「おちついたら、携帯にメールをしてくれ」
とだけ、伝えてその場を去った。





「どうするのこれから?」

 綾瀬が話しかけてきた。確かに、これから更にエンジェルミストの精錬は出来ない。
そして、もう一つ実験でわかっている。
 私たちはこの「エンジェルミスト」の中毒だ。1週間以上使用をしないと、どうしても自律神経の調子がおかしくなってくる。いや、すでにエンジェルミストに魅入られているということはどこかが壊れているのかも知れない。私はおかしくて笑いそうになった。
そんな私を見てか荒々しく片岡が話した。

「おい、エンジェルミストってあとどれくらいあるんだ?」

 私はポケットから取り出した。そう、あたるが救急車で運ばれる時にあるだけを振り分けておいたんだ。問題になるってわかっていたからだ。私は片岡とそして綾瀬に向かって話し出した。

「後、エンジェルミストは0.04mgある。あたるの分も考えると一人、0.01mgしかない。つまりこれからの事を考えると、一回の使用で何mg使うのかを考えないといけない。そして、なくなる前にどうやって新しく作るかという事。それが重要になってくる」

 私はそういって、ポケットから試験管に分けた0.01mgのエンジェルミストを二人に渡した。試験管には綾瀬とはじめて「エンジェルミスト」を使ったとき、そうカラオケでトリップした時と同じようにラベルをはっておいた。そして、メモリもつけておいた。

「そりゃ、使うなら0.003mgでしょ。やっぱりやってみたいわ~」

 綾瀬がそう言う。

「そうだな。あたるはあんなことになったけれど、気をつければ大丈夫なはずだ。一度0.003mgやってみな。癖になるから」

 片岡はそういって笑っている。多分、私も同じ事をするだろう。

「0.003mg」

 この壁にチャレンジして見たい。私も同じだ。あのトリップの時間が長くなるのならば、リスクなんか怖くない。う、私たちは天使に魅了されているんだから。

「だが、どこでやるんだ?」

 片岡がいう。確かにあの完全トリップ。一人でするにはリスクが大きい。いや、一人でエンジェルミストを使ったとして良い可能性のほうが低い。それは私自身が自分で実験をして良く解っている。そんな事で少ないエンジェルミストを無駄にしたくはない。

「あ、俺んちはダメだからな」

 片岡がそういう。確かにそうだろう。片岡の弟はドラフト会議にかけられるらしい。
 そんなところで片岡が楽しくトリップできるとも思えない。
 それをいうならば、私も同じだ。あんなところでトリップなんか出来るわけがない。

「私一人暮らしだよ」

 綾瀬がそう言う。私は綾瀬については何も知らない。いや、聞きたいけれど、どう聞いていいのか解らなかった。あの腕いっぱいにあるリスカ、アムカのあとも。綾瀬が住んでいる所は大学の近くだ。今まで誰も入り浸っていないのが不思議だった。

「ま、私あんまりここにいないけれどね」

 不思議な事を綾瀬は言った。

「でも、1週間に1回でしょ。だったら、いいわよ。ま、あんまりキレイじゃないけれどね」

 そう、この時に私たちは一人ひとり思っている事が違っていた。だからこそ、すれ違いとあんな事になってしまったんだ。時は戻ってはくれない。そして、私たちはあの時にすら戻れない。そう、もう戻れないんだ。もし、過去に戻れたらどこからやり直したいだろう。実行されないのにそんなことを思っていた。不思議なものだ。後からなら間違いにいくらでも気が付ける。その時には目の前にあったものですらみえていないというのに。気づかせたい。あの頃の私に。私は叫んでみた。どこからか声が聞こえる。たぶん現実が私をまた連れ戻しに着たんだ。ひたひたと、そうひたひたと。


~現実 一日前~

 朝、大音量のテレビの音で目が覚める。画面をみて、今日が土曜日であることがわかる。いつもと違うアナウンサーが画面で何かを話しているからだ。なんだか意味があるのか解らない特集を見ながら、今日は、あたると会って大学に行くんだったということを思い出した。あの時に埋めたビデオテープを掘り返しに行く。そして、もう一つ。「アレ」を探しに行こう。
あれからあたるは変わった。強くなったとでも言うべきだろうか。いや、なんだかあのことがあってから妙な距離をあたるに感じる時がある。ただ、私もあたるももう同じではいられないことだけは解っていた。
 考えても仕方がない。私は用意をしようとして、押入れをあけた。普段スーツしか着ないため、私服は押入れの中にいつもしまってある。
 そして、この押入れの奥に埋められなかったビデオがある。私はそのビデオを取り出した。
 最後のビデオ。だが、このビデオは途中で終わっている。いや、正確にはビデオを入れなおすという所で終わっている。だが、次のビデオが見つからない。
 もう一度だけこのビデオを見よう。綾瀬があの時買ったハンディーカメラで撮ったため、手持ちのAV機器ではこのビデオは見られない。だが、内容はいまでも鮮明に覚えている。そう、これを誰かのもとに渡したくなかった。あたるにも、片岡にも。私はあの時から何が変わったのだろう。無気力になった。いや、全てをあきらめるようになった。

違う。

 誰かが世界を変えてくれるなんて期待はもっていない。夢のような理想も持っていない。ただ、目の前の現実を幸せと思えるようになった。
単調な繰り返しがなんだ。明日がちゃんと訪れて何もなく平和な日々が過ごせる。
 それがどれだけすばらしいことか。全てを失った最悪を経験したからこそわかるんだ。
 だからこそ、私は今を向いて行こうって決めた。あの時の罪を背負うために。
 そう、あの頃の全てに。そして、明日。
 全てを戻したい。私は用意をしながら、あの時の事を思い出していた。
 逃げているわけじゃない。私はこの思いを罪を背負って行こうって決めたんだ。それしか私には出来なかったから。
 だから、深く、深く沈み落ちていった。
 あの頃のように、あの頃のように落ちて。



~回想 0.003mg~

 綾瀬とは大学の授業でも結構同じものが多い。だが、いつもは私のところには来ないのに、今日は横の席に座りに来た。
 横にやってきた綾瀬はいつもと違っていた。優しい雰囲気も甘い匂いもなかった。どことなく化粧も薄く感じた。いや、目のラインがいつもと違ったんだ。あまりメイクをしていない綾瀬を見て、少しだけ安心をした。ただ、横にやってきた時に少し見えた手首に傷が増えているのをみて悲しくなった。いや、自分が無力だって思った。だが、そんな私の思いをよそに綾瀬は話し出した。

「ちょっと、なんだかイライラが止まらないんだけれど、これ陸がいっていた中毒ってやつ?」

 綾瀬はシャーペンを何度も机にコツコツつつき始めていた。確かに、私と綾瀬はあたるが病院に運ばれてから、エンジェスミストでトリップをしていない。期間でいうと1週間と2日が経過している。私もいつもより短気になってきているのがわかる。
前までは何人か新規でエンジェルミスト0.001mgの使用を求めてきたものにはトリップを手伝っていた。だが、もう、サークルは閉鎖している。それは広まっているはずだ。大学から通知が出されたくらいだ。それにもかかわらず、依頼してくる人が多い。いい加減説明するのがめんどくさくなってきて、つい断り方がひどくなってきている。
前まではここまでのイライラはなかったが、使用量が多くなってきたためか、私たちの中で確実に何かが変わろうとしてきていた。それだけは解っていた。もう限界だ。このままだったら誰かを傷つけてしまうかもしれない。私はそう思った。気がついたら口から出ていた言葉はこうだった。

「出よう」

 私はそういって綾瀬と一緒に教室から出て行った。どこかで教授の声が聞こえたが私にはもう関係なかった。扉を閉めたらもう別世界なんだから。私は気がついたら大学の入り口まで来ていた。綾瀬が私をひっぱってきた。

「ねえ、どこでトリップするの?」

 綾瀬はそう言ってきた。確かにそうだ。もうこう限界ギリギリになっているとまともな思考も出来なくなってきている。

「また前みたいにカラオケでいいんじゃないの?」

 私はそう言った。だが、綾瀬から想像もしていないことを言われた。

「ラブホいかない?」

 一瞬固まってしまった。いきなり心拍数が上がったのが解った。禁断症状からではない。それは解った。多分耳まで真っ赤になっているのが良くわかった。私はびっくりしながらこう言った。

「え?ラブホって」

 そんな私を見て綾瀬は大笑いしていた。

「何期待してるのよ。何もしないわよ。ただ、ラブホだったら、大きな声出しても暴れても別に違和感ないでしょ」

 そういいながら綾瀬はタクシーを止めた。

「早く乗ってよ。さすがにこの付近のラブホに入りたいなんて私思わないわよ」

 そう言い出して、綾瀬は繁華街のほうへと移動し始めた。



 私は生まれて始めてラブホに入った。お城のようなホテルだ。そしてちょっとメルヘンなピンク色に統一されたかわいい感じの部屋を綾瀬は選んでいた。
ドキドキが止まらない。心臓の音だけが私をどこかにつれていきそうだった。もう、自分の中で何が起こっているのかなんて理解ができなかった。私は今の現実をどこかで受け止められなかった。そう、これは夢なんじゃないのか。ひょっとしたらトリップしすぎて妄想の中にいるだけじゃないのか。ただ解ったことは、綾瀬はなんだか楽しそうだった。

「いぇ~い」

 なんていいながら、綾瀬は大き目のベットにダイブしていた。まるで、アルコールでも飲んでハイになった感じ。たまに綾瀬はスイッチが入ったらハイになる。カラオケの時もそうだった。波が激しいんだ。
躁鬱。一瞬そう思うこともある。いや、飲んでいる頓服は見たことがある。安定剤だ。
それと、睡眠薬も処方されている。おそらく間違っていない。でも、それがなんだっていうんだ。綾瀬が綾瀬であることには違いはない。私の葛藤をよそに綾瀬のテンションは上がりっぱなしだった。

「ねぇ、私この広いベットとお風呂好きなのよ。陸がトリップしている間に私お風呂はいっているね。だって、トリップ中だったら覗かれる心配もないしね」

 ベットでごろごろしながら綾瀬は話している。綾瀬は初めてじゃないんだ。いや、あのトリップしたときの取り乱し方から何かあるのかも知れない。私は不安よりも好奇心から何かを聞きたいと思っていた。
 それともう一つ。綾瀬は私に興味がないのかも知れないと思った。だって、私に聞きたいことがないみたいだから。私は複雑な思いでトリップをするための準備をしはじめた。

「ねえ、もちろん0.003mgよね」

 綾瀬は話しながらアメニティーグッズを調べている。そのしぐさをみても私のドキドキは加速していった。心音がうるさい。

「ああ、0.003mgで用意しているよ」

 私はどうしていいか解らない不安から黙々と準備をしている。

「ふふふ、陸って面白いよね~」

 綾瀬はそういいながら「ビデオ」の準備をしている。

「あ、陸の分も取ったほうがいい?」

 トリップしている間、確かに気になることは多い。でも、綾瀬は私よりもお風呂に興味があるみたい。私はちょっと投げやりになっていた。

「どっちでもいいよ」

 私の口から出たセリフはこれだけだった。いや、普段なら違ったかもしれない。だが、今は心臓の音がうるさくて、もう普通の判断なんか出来そうになかった。思えば、この選択は間違っていたのかも知れない。いや、この時ラブホに来たことが間違いなのかも知れない。やり直せるならこの時に、この瞬間に戻りたい。それは今でもそう思う。誰もその時の私に注意なんてしてくれなかった。無論自分で自分をいさめるなんてことも考えもしていなかった。ただ、流れに任せていただけ。日和見といってしまえばそうかも知れない。私はこの時から何か変われたのだろうか。いまだに救いを求めてしまう。
決まってやってくるのは理想なんかじゃない。見たくもない、一番否定したい現実だけが私を連れて行ってくれる。そういつだってひたひたとそして、何の温かみもない世界に連れて行くんだ。

~現実 ブログ~
大学へ行く準備をしながら、ブログを見ていた。どんな時でも見てしまう。ネット中毒。いや、誰かが私を知ってくれている。それだけで安心が出来るんだ。それに、書き込みがあるってことはまだ見捨てられていないということ。私はどこかで誰かに見捨てられるのが怖いんだ。根拠のない不安。けれど、目に見えないからこそ見えるものを欲しくなってしまう。コメントならば目に見えるから。だが、訪問者の中で一人いびつな人がいる。そう、書き込みの中で一人だけ違う人物がいる。
 ゲストの名は
「:Re」
 はじめはエンジェルミストの精製方法を聞いてきたが、最近はちょっと変わってきている。
「0.003mg以上してみたいって思わなかったの?」
 こんな感じの書き込みだ。
「機会があったらね」
 なんて、レスを書いて済ました。そう、このゲストは何かを知っているのではと思うコメントが多いのだ。ひょっとしたら誰かなのかも知れない。いや、あの得体の知れない「エンジェルミスト研究所」の人か、あそこのヘビーユーザーなのかも知れない。ゲストならありえる話だ。私は怖くなってパソコンの電源を落とした。全てが一瞬で吹っ切れる。ネットのよさであり、怖さでもある。
私は大学へ向かった。


久しぶりの大学。郊外にあるこの大学は実家の近くでもある。レンガ造りの赤い塀。白い壁。そして、その周りを取り囲むように木々が聳え立っている。駅に着いてからその光景は目に付く。どこか懐かしく、けれどどうしてもここには脚が向かなかった。
 大学に向かう途中にあの時綾瀬が住んでいたマンションがあった。4階建てのマンション。つくりは古いのか壁は汚れてきていた。
いつの間にか綾瀬はこのマンションからいなくなっていた。そして、私もこの場所を立ち去っていた。私たちがいなくなったというのに、景色だけは何も変わっていなかった。
 いや、変わっていないのは私なのかも知れない。この変わらない景色を見ているとあの頃を思い出すからだ。それも鮮明に。目を閉じたらまるであのマンションから綾瀬が出て切るのではと思ってしまうくらい。この景色を見て更に思う。私はあの綾瀬と行ったラブホの前にだけ戻りたいということを。
 あの後にあんなことが起きるなんて思っていなかったのだから。




~回想 0.003mg」

 ラブホテル。気になっている綾瀬といきなりこんなところにいる。しかも二人っきり。
ドキドキしすぎてどうしていいかも解らない。そう、踏み込みたいのに、何も出来ないんだ。ただ、黙々と0.003mgの準備をしていた。いや、そうすることが楽だったのかも知れない。こんなところに、ラブホテルに二人でいるんだ。何かしたっていいんじゃないのか。
いや、信用してくれているからこういうことになっているんじゃないのか。その信用を裏切るのか。私は色んな思いでぐるぐるしていた。ただ、こうぐるぐるしているところを綾瀬に知られたくなかった。私は精一杯の強がりで言葉を発した。

「トリップする?」

 私は綾瀬を見ながらそう話した。ビデオのセットも終わって準備的には何も問題はない。けれど、綾瀬の口から出た言葉は違ったものだった。

「つまんない」

 そういって私が座っているソファーのところに綾瀬がやってきた。一瞬綾瀬のなんともいえない匂いが近づいた。さっき大学にいたときには感じなかったのに。不思議だった。なんていう香水をつけているのかは知らない。ただ、解ることは自分の自制心と恐怖心とよく解らない感情が押し寄せてきたことだった。何かが壊れそう。いや、心臓が破裂しそうだ。何かしなきゃ。どうにかしなきゃ。私はそういう思いからどこか逃げ出したかった。

「カラオケでも歌う」

この空気に耐えられなくてテレビの近くにあるカラオケの冊子を取りに行った。
テレビをつける。AVビデオが流れる。焦ってテレビの電源を消した。

「ふふふ、陸って面白いね。まぁ、じゃあ何か歌おうか~」

 そういって、綾瀬は曲を入れた。
浜崎あゆみの曲だったが、何の曲かはわからなかった。ただ、聞いたことがあるノリのいい曲だった。そして、次に大塚愛。いつも綾瀬が歌う感じの曲じゃない。私はいつもと違うという事にしか気がつけなかった。

「イェーイ」

 騒いだ後に、綾瀬が

「じゃ、御願い。0.003mg。でも、変な事しないでね~」

 と言ってベットに寝転がった。
その一言が何もしなくてよかったと思った。私は自分でもどうしたいのかすらわからなかった。ただ、今の関係を壊したくない。その想いが一番強かった。私はエンジェルミストを用意をした。何回も、何回もトリップをさせてきたのに、どうしてかうまくいかない。0.003mgを注射器で吸い上げ、生理食塩水を混ぜる。空気を抜いて、消毒液を浸した脱脂綿をつかむ。何度も、何度もしてきたことだ。いつもの通り冷静にすれば大丈夫。そう言い聞かせていた。

「なんか寝転がりながらだといつもと違うからドキドキするね」

 綾瀬がそういってきた。私は今日、ここに、ラブホに来てからずっとドキドキしている。もう、まともな思考なんてしてくれていない。私はなんだか見透かされている感じがした。いや、そういう思いすらもてないくらいドキドキしていた。もう、心臓が壊れるのじゃないのかというくらい、いや、ほかの音が聞こえないくらいドキドキしていた。私はたった一言だけをようやく言えた。

「そうだね」

 なんだかぎこちなく私は綾瀬に近寄った。そして、綾瀬にエンジェルミスト0.003mgを注射した。うっとりと眠りだす綾瀬を見ながらそっと近づいてみた。

「ふふふ」

 一瞬笑ってから綾瀬はトリップしたように見えた。私はビデオの録画の前に一瞬だけ綾瀬の唇に触れてみた。唇で。
 一瞬、綾瀬が動いたように見えた。私はドキドキしながら、ビデオの電源を入れた。
時間を計る。もうそろそろトリップから戻ってくるはず。今までの綾瀬を考えると

「お金」

が絡んでいる。質問は考えないといけない。それに、ビデオもとっている。考えている時、それは始まった。

「なんで、私はダメなの。だからって、こんなお金なんて私はこれだけの存在なの?」

 綾瀬が叫びだした。私は怖かった。だが、聞いてしまった。

「何のお金なの?」

 泣いている綾瀬。よほど思い出したくない事が出てきているんだろう。

「手切れ金これで別れてくれって言われた。浮気した相手に子供が出来たから。じゃ、私のおなかにいる子はなんなの。なんでそっちは、産めて、私はダメなのねぇ、どうして。どうしてよ」

 綾瀬はつかみかかって来た。錯乱してきている。私は前と同じように綾瀬を抱きしめた。強く、強く。

「大丈夫だよ。ダメじゃないから。私がいるから」

 私は綾瀬に優しく語りかけた。でも、綾瀬の震えは止まらなかった。

「だから、こんな私なんていらないごめんね。ちゃんと産んであげれなくて選んで貰えなくてだから私、許して貰いたくていっぱい、いっぱい傷つけたゎ。ほら、見て」

 そういって、綾瀬は着ていた服を脱ぎ捨てた。腕だけじゃなく、いたるところに傷跡があった。

「もう、いいよ。もう、いいよ」

 私は薄い毛布で綾瀬をつつんだ。そして、優しく抱きしめた。何も出来ない。自分は非力な存在だって思った。この辛さを私はどうにかできるのだろうか。でも、何もできなくても、何も残せなくても、綾瀬に何かをしたいって思った。

「うぅ、、、」

 うめき声がしてきた。そろそろ覚醒時だ。
あたるの時のこともある。大丈夫なのだろうか。私はおそるおそる綾瀬の顔を眺めた。

「気持ち悪い。ちょっと横にならせて。ってか、なんで私、服着てないの。陸、まさか脱がした?」

 そういう、綾瀬にビデオを巻き戻して見せた。綾瀬は少し前のトリップしていたときの自分を見ながら話し出した。

「そうなんだ。でも、聞いて陸。光の向こう側に行ってきたよ。なんかすごく良かった。まるでおとぎの国みたいよ。全てが輝いているの」

 目を輝かせながら綾瀬はそういった。ただ、この時の声は弱々しかったが。しばらくして綾瀬は落ち着いてきたみたいだ。

「次、陸するでしょ。ちょっとまってね」

 そういって、綾瀬はベットから出た。どうやら、アメニティーグッズの確認と、湯船にお湯を張っているみたいだ。

「私、広いお風呂好きなの。家だとどうしても狭いからホテルに来るとアワアワにしてゆっくり入りたいの。ま、陸がトリップしたらすぐに入るの。陸がトリップから戻ってくるときには戻ってくるからね」

 綾瀬はそういっていた。すごく楽しそうな顔をしている。そして、私は0.003mgを注射した。トリップ前の心地よさ。そして、声がどこからか聞こえてくる。この声に聞き覚えがある。あぁ、そうだ。あの時と同じで、大学に私は来ていたんだった。

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